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お米のおかあさん(2012)

​2005年、私は70年間休耕田だった荒れ地を耕し、稲を育てる過程を体験し、お米に出会った。「稲を育てる」ということをもっと自分の生活の中で実践してみたいという思いから、翌年、実家の庭に13個のバケツを並べてお米を育てた。
その時私がお米に対して感じていた感情は、植物を育てるというものではなく、飼っているペットに対する感情のようなものだった。
名前さえつけなかったものの、発芽し、苗が育ち、穂が付き、稲を刈り取るまでの一つ一つの工程が、メモリアルなものに感じていた。
特に、苗がまだ小さい頃はとても愛らしく、その状態の苗を「早苗」と呼ぶと知ったときに、女の子に「早苗」と多くの日本人が名付けた由来を知り、ますます愛おしく感じられた。
稲を育てる過程はまるで子育てのようだと、稲を育てることを生業としてきた多くの日本人がきっとそう思っていただろうとわたしは思う。

それから数年がたち、入居したレジデンスで私は一年を通してまたお米を育てたいと考えていた。私が感じていた「お米を育てることは子育てのようだ」という感覚を可視化したいと考え、お米を乳母車に植えて育てる、ということを行った。名前は「イセヒカリ」とし、品種名をそのまま名付けた。稲が根を張り、安定してからは街に出た。割烹着を着て乳母車を押してお母さんを演じる、というパフォーマンス。
収穫や食べることなど、たくさんの人が参加できるイベントも派生した。

​刈り取ったあと、藁で人形を作り、人形のお腹の中に翌年育てる籾種を入れ乳母車に乗せていたときに「藁人形」に対する先入観も相まって、恐怖感を抱く人も多くいた。
面白かったのが「母性への羨望や執着心を感じる」それが故にただならぬ恐怖心が湧いた、といったことを言う人がいたこと。
その時初めて「母性」というものを意識した。
「お米を育てることは子育てのようだ」と感じながらも、実際に子供を生んだことも育てたこともない私は「飼っているペット」に対する思いがそれに等しいものなのだろうと思っていた。だけど子供を生んだ経験がなくとも、当時二十代後半だった私に「母性(への羨望)」というものが芽生えていた、もしくはそもそも潜在的に備わっていた、ということを実感することとなった。
​以後、「母性」というものについてたびたび向き合うこととなる契機となった。

 
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